映画研究会の一年は新入生勧誘から始まります。オリエンテーションの時期が勝負です
のでどのサークルも張り切っています。毎日が学祭のような賑わいです。当時はキャンパス
の中庭に教場の長机と椅子を運び出して、活動拠点としていました。出店には誰かがいる
ような状態がずっと続きます。雨が降ると体育館のエントランスの下手の談話スペースが映
研の居場所でした。 その出店でよく食べていたのがスパゲテイ。中庭の中央にはパオというスナックの売店が
あり、いつも学生で賑わっていました。ミートスパゲティとバナナジュースが定番。ちょっと学
外に足を伸ばすと「蜂の屋」というスナックの売店もありました。フラッペが人気でしたが、私
は在学中、唯の一度もそこを利用していません。不思議。「十八番」の生姜焼き丼、「かど
天」のちらし寿司は安価で美味でした。 
勧誘のスタイルは新入生を誘って出店に拉致し、サークルの説明をして名前と連絡先をノ
ートに書いてもらうことの繰り返しです。新入会員はすぐに会員獲得の使い走りをさせられま
す。とはいうものの、スカウトで入会する人間はまずいなかったようです。自分から話を聞き
に来る人物でもないと定着はしなかったようです。ですから、最初にノートに連絡先を書いて
もらっても、こちらから連絡することは全くなかったろうと思います。木曜日は体-8教場という
スクリーンのある教室での会合でした。4月、5月は毎週新入生歓迎のための上映会が行
われます。 定例会とはまぁ会員同士の顔つなぎのための会合です。年間を通じて週二回の出席が義
務づけられています。4月の行事は新入生歓迎コンパ。一年生のための教育映画の撮影。
教育映画とはカメラを一年生に預けて、一本のフィルムで作品を撮るイベントです。何故か
幹事長がコントのような脚本を書いて撮らせていたこともありました。 
5月は「春の合同映画祭」に前年度作品が参加します。その後はクランクイン。長編2本の
製作体制でした。どちらの映画に携わるかで、その後の映研人生が変わってしまったりしま
す。これ以降の定例会は各スタッフ同士のミーティングの場へと変わります。 活動には授業時間を削らないのがポリシーでしたので、平日の昼間は基本的に撮影はあ
りません。土日や放課後にむ集中します。なかなかアルバイトの時間がとれません。バイト
は長期休業中にすることが合言葉です。 夏休みはオフ。但し、撮影の進行によっては前半か9月にタメ撮りをする場合もあります。
8月の後半または9月には楽しい夏合宿です。夏合宿はスタッフ慰安のためということでお
遊びです。私の在会中は野尻湖、伊豆大島、飛騨高山、清里といった調子でした。一度、た
だの遊びではなく研修もしたらどうかという意見が出たこともあり、わざわざ当時の製作部長
であった「のびたくん」がキャメラの講習会をしたことがありましたが不評でした。 9月の目標はクランクアップ。10月は編集、アフレコ。11月の学祭には上映会。初夏、ま
たは秋にレクレーションのソフトボール大会が開かれたこともありました。学祭は上映会とそ
れ以外に模擬店を開いて資金稼ぎです。連日の徹夜で映画を完成させて、そのまま学祭に
雪崩れ込むといった案配で、学祭では泥酔者が続出します。このころ平行して一年生は自
分たちだけで作る一年映画の製作に入ります。学祭が終わると互選によって役員の交代が
あります。決選投票を繰り返しても票が割れてしまい、ついには現幹事長の指名によって新
幹事長が決定されたこともありました。またこの時期は会誌「STAFF」の編集時期とも重な
り編集局は多忙でした。 12月にはその年の新作2本を引っさげてオールナイトフェスティバルの主催が待っていま
す。ここまでに最終的な手直しをします。一年映画の発表会と忘年会が終わるとシーズンオ
フになります。しかし、水面下では翌年の脚本を書くという仕事が各々スタートしています。 1月は進級のための勉強。この時期に「ぴあ」が主催したコンテストに出品します。2月に
は次年度製作映画の脚本の執筆。3月の追い出しコンパの後は「地獄の春合宿」です。こ
れは脚本の選考会がメインですので気合いが入った選考が行われます。御殿場や千葉な
どの「青年の家」的施設で、レク以外は選考会議の連続。難航の末に製作作品が決定する
と、新しいヒロインとヒーローたちの入学する4月を待ちます。かくして8ミリ少年たちの一年
が夢のように過ぎてしまうのです。 |