映研の幻の機関誌、「STAFF」。総じて、映研の会員は「映画
を作る」と言うこと以外には、あまり意見の一致を見なかったの
かも知れません。私が知っている限り、3号で潰れたはずだった
のですが、その後、奇跡の復刊を遂げた時期があったそうで
す。しかも春、冬、と年度二回発行。(へたをすると卒業生特集
で3回めもあり?)。内容は春が新入生を含む全スタッフリスト
(似顔絵、プロフィール入り)とこれから撮る作品の抱負(監督イ
ンタビュー)、それと編集委員の好き勝手なコラム。冬は上映会
時のアンケート結果報告とコラムといった内容だったそうです。
結構、充実していたんですねぇ。

 

 何はともあれ、創刊号で
あります。意気込みに溢
れていて、会員たちの大
言壮語が飛び交っていま
す。それぞれが映研に対
する熱い思いや映画論を
語っていたりする。ちなみ
に私はここでは特撮映画
についてごちゃごちゃと言
及しています。全く進歩の
跡が見られません。ともあ
れ、創刊号らしい熱気に
満ちあふれています。なん
と初代の編集長(「変身」
の監督)は月一回の発行
が出来れば・・などという
大風呂敷まで広げていま
した。

 尚、映研の前身である映
画倶楽部製作部門から、
映研創設にまつわる秘史
が記されているレアな一
品。

  

 卒業生を送るための卒
業文集と在会員の好き勝
手なエッセイ集といった趣
です。原稿の集まりが遅
かったり、書かない会員が
いたりで編集員の怒りのコ
メントが編集後記に炸裂し
ています。

 創刊号に続いてわずか
二ヶ月で発行されたの
は、第一期の卒業生を送
るためという大義名分に
加え、創刊号に間にあわ
なかった原稿の処理を急
いだという面もあるようで
す。というより、もしかして
当時は本気で月刊を目指
していたのでしょうか?

 なんと今回の編集長は
「ふたり」の監督と「雨の
日の殺人者」の監督でし
た。翌年、二人はそれぞ
れ本編の監督となります。

 金曜ゴールデン映画劇
場のような派手な表紙で、
装いも新たに第3号。2年
ぶりの復刊。

 在会員の似顔絵付き名
鑑となっています。多分、
手間と経費がかかりすぎ
た割には編集員の苦労が
なかなか認められなかっ
たので、発行前から既に
次回の廃刊が決まってい
たような気がします。

 なお、巻頭の幹事長の
言葉「はきだめの鶴」は涙
なくしては読めません。

 この時の編集長は「翔ん
だ三角」の監督でした。ち
なみによく黙殺されました
が「翔んだ三角」という命
名は私がしたのです。

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